始まり終わり、また始まる
2013年 04月 08日
3月31日、神社の幟立て。雨の中、色とりどりのカッパが集まった。
大変な作業だが、みんなで集まってワイワイやっていると、もうすぐ祭り本番という気持ちが高まる。
4月6日祭り本番、朝4時集合。出番を待つ衣装とお神酒、獅子頭。
5時、まだ日の出前の薄暗い中打ちだし。
神社に移動するころには朝日が昇り始め、青空が見える。
爆弾低気圧の予報のため、幟に旗はかからなかった。
朝日をバックに舞う白鬼と赤鬼。
1件終わると、太鼓を鳴らしながらみんなで移動する。
そして、次の家の玄関先で門付け。
所々でお酒や料理をいただきながら進んでいく。
獅子頭も休憩中。
とまぁ、朝のうちは太鼓をたたく人が何人かいたので、僕はのんびり撮影しながらついて回っていた。が、昼が近づくに連れだんだん太鼓をたたく機会が増えたので撮影している余裕がなくなり、午前中の画像しか撮れなかった。
昼は暑いくらいの陽気になり、ビールや酒が進む。そして、振る舞われる料理の数々に常に満腹状態(笑)。
師匠の家に行ったのは16時頃だっただろうか。あまり時間も覚えていない。
師匠の家では、僕から太鼓を打ち始め、団長が打ち、臨月のマリーさんが打ち、なぜだか2度目もまわってきた。しかし、泣けて泣けて、太鼓を打ちながら涙が止まらなかった。
鬼がどんな舞をしていたのか知ったのは、昨日師匠のブログを読んでからだった。
17時を過ぎるとぽつぽつと雨が降り出し、風も出てきて急に寒くなってきた。僕の手は豆が水膨れになり、あちこちが痛くなってくる。もちろん鬼たちもだいぶ疲れてきている様子。
18時、神社に提灯を灯し、集落の人たちも雨の中集まって鬼にとっては一番過酷で長い本番バージョンの鬼を打つ。足元も滑るなか、白鬼も赤鬼も転ぶことなく、1ヵ月練習してきた中で最高の本番をやり遂げた。
さて、ここからがまた長いのだ。暗くなってから、どこをどういう風に進んでいるのかも分からず、雨に打たれ、風に吹かれながら、時間の感覚もなくなっていく。お酒の酔いも手伝って、なんだか幻想的な気分になっていたのは、きっと脳内でいろんな物質が出まくっていたのだろう。
後半は、各家で1回は太鼓を打つ感じだったのだろうか、握力がなくなり太鼓のバチが滑る。手も肩も痛いし音が出なくなってくる。しかし鬼はもっとキツいだろうから、少しでも太鼓の音を出してやりたかった。周りからも「太鼓、太鼓~」と掛け声がかかる。何度か太鼓の手が止まってしまうという失態をさらしてしまったが、なんとか最後まで打ち切った。
そして、鬼の舞は夜にかけてどんどん良くなっていった。移動で歩くのは辛そうなのに、いざ打ち始めるとメリハリが出て、腰も落ちる。そして最後まで飛んでいた。
最後の家が終わり、公民館に戻ったのは23時頃だっただろうか。荷物を運び入れたりした後、会計報告があり、鬼たちに花代が渡され、0時に解散となった。
翌朝、お隣の家の方が赤飯や海苔巻などを持ってきてくれた。料理する気力もなかったので本当にありがたい。朝ご飯を食べ、10時から片付けのためまた公民館へ。祭りの後である。昨晩の余韻が現実へ戻っていく。
雨さえ降っていなければもう少し楽だったのだろうが、延長コードやケーブル類をきれいに拭いたり、脚立を洗ったり、手間がかかる片付けで、やり終えたのは17時過ぎだった。
しかし、この片付けが良かった。疲れた体に面倒な作業なのだけど、手抜きをせずに使ったものを綺麗に戻していく作業。終わった時は体の疲労がすがすがしい気分になっていた。
そして、作業中の話題は、早くも来年の祭りのことである。
最後に太鼓を打つ僕。(撮影:師匠)
よそ者を仲間に入れていただき、ありがとうございました。
9年間鬼太鼓に参加した師匠や、青年団長のおかげでもあります。
感謝。
大変な作業だが、みんなで集まってワイワイやっていると、もうすぐ祭り本番という気持ちが高まる。
4月6日祭り本番、朝4時集合。出番を待つ衣装とお神酒、獅子頭。
5時、まだ日の出前の薄暗い中打ちだし。
神社に移動するころには朝日が昇り始め、青空が見える。
爆弾低気圧の予報のため、幟に旗はかからなかった。
朝日をバックに舞う白鬼と赤鬼。
1件終わると、太鼓を鳴らしながらみんなで移動する。
そして、次の家の玄関先で門付け。
所々でお酒や料理をいただきながら進んでいく。
獅子頭も休憩中。
とまぁ、朝のうちは太鼓をたたく人が何人かいたので、僕はのんびり撮影しながらついて回っていた。が、昼が近づくに連れだんだん太鼓をたたく機会が増えたので撮影している余裕がなくなり、午前中の画像しか撮れなかった。
昼は暑いくらいの陽気になり、ビールや酒が進む。そして、振る舞われる料理の数々に常に満腹状態(笑)。
師匠の家に行ったのは16時頃だっただろうか。あまり時間も覚えていない。
師匠の家では、僕から太鼓を打ち始め、団長が打ち、臨月のマリーさんが打ち、なぜだか2度目もまわってきた。しかし、泣けて泣けて、太鼓を打ちながら涙が止まらなかった。
鬼がどんな舞をしていたのか知ったのは、昨日師匠のブログを読んでからだった。
17時を過ぎるとぽつぽつと雨が降り出し、風も出てきて急に寒くなってきた。僕の手は豆が水膨れになり、あちこちが痛くなってくる。もちろん鬼たちもだいぶ疲れてきている様子。
18時、神社に提灯を灯し、集落の人たちも雨の中集まって鬼にとっては一番過酷で長い本番バージョンの鬼を打つ。足元も滑るなか、白鬼も赤鬼も転ぶことなく、1ヵ月練習してきた中で最高の本番をやり遂げた。
さて、ここからがまた長いのだ。暗くなってから、どこをどういう風に進んでいるのかも分からず、雨に打たれ、風に吹かれながら、時間の感覚もなくなっていく。お酒の酔いも手伝って、なんだか幻想的な気分になっていたのは、きっと脳内でいろんな物質が出まくっていたのだろう。
後半は、各家で1回は太鼓を打つ感じだったのだろうか、握力がなくなり太鼓のバチが滑る。手も肩も痛いし音が出なくなってくる。しかし鬼はもっとキツいだろうから、少しでも太鼓の音を出してやりたかった。周りからも「太鼓、太鼓~」と掛け声がかかる。何度か太鼓の手が止まってしまうという失態をさらしてしまったが、なんとか最後まで打ち切った。
そして、鬼の舞は夜にかけてどんどん良くなっていった。移動で歩くのは辛そうなのに、いざ打ち始めるとメリハリが出て、腰も落ちる。そして最後まで飛んでいた。
最後の家が終わり、公民館に戻ったのは23時頃だっただろうか。荷物を運び入れたりした後、会計報告があり、鬼たちに花代が渡され、0時に解散となった。
翌朝、お隣の家の方が赤飯や海苔巻などを持ってきてくれた。料理する気力もなかったので本当にありがたい。朝ご飯を食べ、10時から片付けのためまた公民館へ。祭りの後である。昨晩の余韻が現実へ戻っていく。
雨さえ降っていなければもう少し楽だったのだろうが、延長コードやケーブル類をきれいに拭いたり、脚立を洗ったり、手間がかかる片付けで、やり終えたのは17時過ぎだった。
しかし、この片付けが良かった。疲れた体に面倒な作業なのだけど、手抜きをせずに使ったものを綺麗に戻していく作業。終わった時は体の疲労がすがすがしい気分になっていた。
そして、作業中の話題は、早くも来年の祭りのことである。
最後に太鼓を打つ僕。(撮影:師匠)
よそ者を仲間に入れていただき、ありがとうございました。
9年間鬼太鼓に参加した師匠や、青年団長のおかげでもあります。
感謝。
by tou-hen-boku
| 2013-04-08 09:54
| 日々是徒然